依存症で身の破滅を招いたこと
ひとりで3人の子育て シングルマザーまみたんです。
依存型の人間は大損をするという話をします。
私は依存型の人間です。
今も気が付けば依存してしまう思考をしてしまっています。
一刻も早く直さなければと思っていますが、40数年間の染みついた依存症はなかなか出て行ってくれません。
結婚後の人生は波乱万丈でした。
結婚、長男出産と順調に進みましたが、元夫は長男を出産後から会社経営の資金繰りが厳しいと、結婚前にためていた私の貯金をたびたび無心するようになってきました。
外食が好きで、社長だからと常に服はアルマーニ。
かばんや靴はグッチで、お酒の席では女性に声をかける。
軽いイタリア親父を目標にしているような人でした。
話術がうまく、笑いを取る会話で人を引き付けるのが上手でした。
話をすると、口下手な頭の回転の遅い私は常に言い負かされてしまうほうでした。
最初のうちはお金を貸しても返してくれていたので,ついつい言われるたびに渡していましたが次男が生まれたころには貸したお金は数百万にまでなっていました。
当然、家計にも入れてくれないこともあり、結婚前の貯金を崩しながら家計の足しにしていました。
次男が生まれしばらくしたころ、私の実家が火事になり、両親は住む家もなくなり隣近所に延焼被害があったため損害賠償など請求されて大変な時期がありました。
その時、義実家からは見舞い等一切なく、元夫は生活保護をもらえばいいんじゃないかと冷たい一言のみでした。
当然両親を仮住まいさせることもできずに、認知の入った父は施設に預け母はひとりで火事の後始末をしました。
後から聞いた話ですが、
「あの時死のうと思った。助けられないから生活保護を受けてくれと言われ、火事の損害賠償などもあって、生きていてもしょうがないんじゃないかと思っていた」
と聞いて涙が止まりませんでした。
そんなに追い詰められていたことを私は知らずに、元夫と義実家の顔色をうかがいながら母の後始末の手助けをしていましたから。
その時からかなり元夫と義実家には冷めた感情を持つようになりました。
でも、子供が二人いて、育てていくには両親がそろっていないといけないと思っていましたし、お金を貸したままですので、会社をうまく儲けてもらってお金をいつか返してもらえると思っていました。
義実家は小金持ちでしたので、元夫にも商業ビルを遺産相続するという話がありましたので、それがあれば生活も楽になるし、私が出したお金も返ってくると考えていました。
本当にバカな女です。
元夫と義実家に依存していました。